死語になりつつある言葉その3食べられない。    2007年3月26日  寄稿者:散歩道

4年前に発表したエッセイですが、再掲いたします。(2011年)7月1日)

動物の世界は
生きてゆくのが大変だ。獲物を探すのも、自分が食べられないようにするのもである。亀の子供が生まれると、短距離競争のように海岸まで走り出す。ウサギとの競争で勝った話の様なわけにはいかない。走り遅れると空からの鳥に狙われて食べられてしまう。

その鳥の中でも強い鷹も、生まれてまもなくは離陸することを覚えるだけでも大変だ。ヨチヨチ足をバタつかせ、羽根を動かしてやっと少し空中に浮かぶが、直ぐに地面に落ちて、足がもたついて転んでしまう。何回もそうやって漸く鷹特有の優雅な空中滑空が出来るようになる。ところが海からの離陸はもっと難しい。水の上を地面と同じように蹴りながら羽ばたく。体が軽いから水を蹴るのも結構効き目があるものの、効率が悪いから、なかなか空中に浮かばない。羽根は防水だから、海には浮かべるが、中には波に浚われゴツゴツした岩に押し上げられてやがて死んでしまうのもあるようだ。

もっと恐ろしいことがある。海から飛び出す練習を始めることを知っている鮫が海面に潜んでいる。もたついた鷹の雛は2,3メートルも跳躍するような鮫にあっという間に食われてしまう。この鮫もどこからかはるばる泳いできて、その瞬間を待っているのだから、大変だ。

それに比べると、
人間はどうだ。電車に乗り、混んでいるとはいっても、暫くの我慢で会社に着く。そこで、何か与えられて事を毎日やっていると、月末には自然に 預金に ”お金” というものが入ってくる。コンビ二で何かを求め、”紙のようなもの” か ”カード のようなものを差し出すと、何と "餌”、失礼、食べ物が手元に入ってくる。後は口をあけて食べるだけ。

そして、
昔は敵だった狼のような動物も、足を短くして拉致監禁し、人間に頼る以外に生きてゆけないようにして可愛がり、動物愛護と言う精神的安心を得ると言う仕組みまで作ってしまった。

人間がこのように
楽して生きられる様になってのは、人間は頭を使って社会という仕組みを作ったからだ。一対一では、人間はカラスにも勝てないであろう。親子が殺しあったり、戦争で子供を殺したりするのも人間社会の現象の一つ。

現代の現象を喜ぶべきか、悲しむべきか、私には分からない。
散歩道