啄木鳥さんとの会話

.戦争末期から戦後暫く軽井沢に我が家が疎開していたことがある。別荘に住んでいたのかと思われるでしょうが、事情は全く違う。終戦間際の東京大空襲で我が家は焦夷爆弾で焼けてしまった。宗教に関する月刊誌を発行して、やっと食べていた仙人のよう父を陰で支えてくださっていた読者の一人が、焼け出されて路頭に迷った父に軽井沢の別荘を無料で提供してくださったのである。正月に背丈くらい積もる大雪が降ったことがある。隣とは数十メートル離れていて、そこも全く見えない。一時間以上は掛かって隣家の方向へ雪を掘っていったら、隣からも掘り始めていて、やっと隣とつながり、“あ-来ましたね!”と出会ったときの感激、思わず手を取り合って喜んだものである。喧騒と密集の中に生きている現代の東京では味わえない感激の一瞬であった。

ここで、2年目くらいして、何となく気がついたことがある。朝の目が覚めるときの合図の音だ。それがどうやら啄木鳥が家の柱、丸太で出来ているのだが、そこを突付く音で目が覚めるらしい。その事に気がつくと、毎朝啄木鳥さんと“やあお早う!”と挨拶を交わしているような心境になる。たまに、その音を聞かずに起きてしまうと、啄木鳥さん、今日はどうしたのかな?と気がかりになってしまう。2004.2.25.
>> 返信 名前: 山崎義雄 [2004/02/29,02:45:12] No.98
みんな良いお話、とりわけ啄木鳥さんの話は切なくなるような良い話です。