あの世での信長・秀吉・家康会談

あの世で信長・秀吉・家康の三人の会談が行われた。3人の会話をインターネットで傍受しました。

信長: 秀吉君、君は本能寺の変では随分早く俺を助けに来たのだが、明智と裏で組んでいるという噂もあるぞ!

秀吉: とんでもありません。私は草履を温めて以来、ずっとあなた様の忠実な子分です。ところで、家康君、俺が死んでからの慇懃無礼な天下取りは気に食わんな。情報は入っているんだぞ!

家康: いやいやどうも恐れ入りました。しかし“徳川時代のしぐさ”等という本でわかるように、徳川時代は平和な良い時代で、その基本は私めが確立致したものでございます。どうぞお手柔らかに。私の孫の孫の孫のーーー慶喜君は明治にやられてしまいました。そして、大正・昭和となって経営に失敗してアメリカに乗っ取られてしいましたね!経営には色んな事があるものです。

信長: 今の日本政府はなっとらん。そうだ。俺達三人で信秀家党というのを結成しないか。次の選挙できっと過半数をとれるぞ!

秀吉: その時、総理大臣は誰にしましょう?

家康: 徳川三百年の基礎を作った実績のある私にやらせて下さい

信長: 混乱の時代を開拓したのは俺だ。俺に任せろ。
     
○: シーーーン

信長: 秀吉君、君は馬鹿に静かだね!どうした。ーーーー


秀吉: 私はだめなんです。 

他の二人:どうしてだ

秀吉:現代の人は靴を履いて、草履を履かないので、出世の方法がないんです!                             
  2008年05月16日ランダム・トーク:散歩道

   現代イソップ物語・兎と亀

動物オリンピック委員会ではイソップを委員長として新しいルールで兎と亀の競争が行われることになりました。頭のいいチンパンジーの提案で、兎は亀の3倍の距離を走り、近道を抜けるのを防ぐようにと森の曲り角に通貨確認バトンを渡す小屋を造りました。

小屋から見えるくらいの所に亀さん、ずっと遠くに兎チャンがスタートにつきます。小屋から、競技委員長イソップおじさんが出てきて、ヨーイドン
鳩の実況放送 「早くも亀さんが小屋に入りました。そして口になにやらバトンらしいものを加えて小屋をでました。あっ!兎チャンもバトン小屋にはいりました」

「亀さんはどんどんゴールに近づいています。今兎チャンが小屋を出るとチンパンジーさんの計算では、ちょうどいい勝負になるようです.ゴール近くには鼠、牛、トラ、うさぎ、−−−−馬、羊、猿さん達がいっぱいに詰めかけています。

「あれ、兎チャンがなかなか出てきません。どうしたのでしょう? 携帯電話でイソップおじさんを呼び出してみます。もしもし亀よ、亀さんよ、いや、イソップおじさん? ーーー 小屋が奇麗なアルミ製なので電波が届かないようです」 

「あっ!やっと兎チャンがでてきました。白ウサギが顔を真赤にして、怒っているみたいです。どんどん亀に近づいています。あ、あ、とうとう亀さんゴールイン。

地上に降りたレポーターの鳩:兎チャン、小屋でどうしちゃったの?」

兎チャン: 「すぐバトンを貰えなかったんだ! イソップおじさんが居眠りしていて」  
                            散歩道2008年05月19日



 死語になりつつある言葉・食べられない。

動物の世界は生きてゆくのが大変だ。獲物を探すのも、自分が他の動物に食べられないようにするのも、である。亀の子供が生まれると、短距離競争のように海岸まで走り出す。ウサギとの競争で勝った話の様なわけにはいかない。走り遅れると空からの鳥に狙われて食べられてしまう。

その鳥の中でも強い鷹も、生まれてまもなくは離陸することを覚えるだけでも大変だ。ヨチヨチ足をバタつかせ、羽根を動かしてやっと少し空中に浮かぶが、直ぐに地面に落ちて、足がもたついて転んでしまう。何回もそうやって漸く鷹特有の優雅な空中滑空が出来るようになる。ところが海からの離陸はもっと難しい。水の上を地面と同じように蹴りながら羽ばたく。体が軽いから水を蹴るのも結構効き目があるものの、効率が悪いから、なかなか空中に浮かばない。羽根は防水だから、海には浮かべるが、中には波に浚われゴツゴツした岩に押し上げられてやがて死んでしまうのもあるようだ。

もっと恐ろしいことがある。海から飛び出す練習を始めることを知っている鮫が海面に潜んでいる。もたついた鷹の雛は2,3メートルも跳躍するような鮫にあっという間に食われてしまう。この鮫もどこからかはるばる泳いできて、その瞬間を待っているのだから、大変だ。

それに比べると、人間はどうだ。電車に乗り、混んでいるとはいっても、暫くの我慢で会社に着く。そこで、何か与えられた事を毎日やっていると、月末には自然に 預金通帳に ”お金” というものが入ってくる。コンビ二で何かを求め、”紙のようなもの” か ”カード のようなものを差し出すと、何と "餌”、失礼、食べ物が手元に入ってくる。後は口をあけて食べるだけ。

そして、昔は敵だった狼のような動物も、
足を短くして拉致監禁し、人間に頼る以外に生きてゆけないようにして可愛がり、動物愛護と言う精神的安心を得ると言う仕組みまで作ってしまった。

人間がこのように楽をして生きられる様になったのは、頭を使って社会という仕組みを作ったからだ。一対一では、人間はカラスにも勝てないであろう。 しかし、親子が殺しあったり、戦争で子供を殺したりするのも人間社会の現象の一つ。
現代の現象をどのように考えるべきか、私には分からない。  散歩道2007326

 戦後日本の若者から消えたもの

戦争中から戦後まで日本の小さい子供達が持っていたちょっとした習慣や体質が、現在では殆どしまったものを取り上げたい。

1 習慣の変化
1−1 
「頭をかくこと」 何か失敗したり、恥ずかしい思いをした時、手を頭にやって「すみません」とか言うと大抵のことは許されたが、今の子供は頭をかく習慣がない。当時は男の子供だけの習慣で大人や女性はこの仕草をしなかった。(日本人の発明か?)

1−2
「顔を赤らめること」恥ずかしがりの子供は何か失敗したり、急に褒められたりすると、顔を赤らめたものだが、今の子供には余り見られない。大人も殆どの人が赤面しなくなった。

1−3 
「独り言を言う」のは遊びに夢中の子供によく見られたが、今はテレビ、ゲーム機の普及の為か余り見られなくなった。子供の空想の世界はゲームに取られたのか?

2 体質の変化
2−1
「シモヤケ」が子供の手から消えた。冬遊びに夢中になり手を腫らし、風呂に入ると沁みて辛かった。春になってやっと良くなった。手袋がよくなったのか、設備が良くなったのか、食べ物が良くなっ体質が改善されたからなのかよくわからない。

2−2 
「ニキビ顔」:いわゆる思春期のシンボルとしてニキビ顔の少年少女が多かったが、今は殆ど見られなくなった。これは体質と食生活の変化が原因であろうか?

3 医学の進歩による病気の変化

3−1伝染病: 若者の多くの命を奪った
結核、ハシカ、天然痘等は病原菌の発見とワクチンの力でほとんど感染しなくなった。又抗生物質の発見で肺炎も激減した。医学は若い人々を救ったが年配者の疾患(ガン、糖尿病、心臓疾患、脳出血)にはまだ充分な対策が確立していない。

3−2 
盲腸炎(虫垂炎)と扁桃腺炎  昔の若い人を悩ませた病気であったが殆どこの病名を聞かなくなった。抗生物質で押さえ込まれたとも言えるが、余り聞かない病気になった。
この他本文を基にして話題が展開することを期待している。

ランダムトーク 寄稿者 六甲颪 [2007/8/31] 2007年10月18日

 大きい事はいい事か?

随分前の事になるが、日産自動車が新車の宣伝に “隣の車が小さく見えまーす” と言うキャッチフレーズを使って大いに受けた事があった。同じコストで少しでも大きく見せる事が必要だった時代のことだ。動物の世界も、人間を含めて、大きいと力が強く有利に見えた。

今は事情が変わって、こじんまりした車のほうが使いやすい状況となり、見栄で大きな車を買う人はいなくなった。 そして権勢を誇ったマンモスの蔭で小さくなって生きてきた人間は、今や地球を独占しているように見える。

しかし、再びしかしである。現在、地球上で見ることが出来る大きな動物として、鯨とか,ゾウ等が存在する。一方、“虫眼鏡”等をはじめ、技術の発達に伴い、小さい動物、昆虫その他、今まで知らなかったような小さい小さい動物の存在と、その巧妙な生き様が次々に紹介されている。人間は生物の中ではかなり大きい方だといえる。
先行きどうなるのであろうか?


 以上は、
動物の大きさに関しての考察であるが、次に、人間が作っている社会組織、つまり、国家、会社を始め諸種の集団組織の大きさに関しての考察をして見たい。

目に付くわかり易い例として、流通機構の肥大化がある。ヤマダ電機の派遣社員の利用など、大きな組織になるとやりたい方だという現象が起こる。社会的に糾弾される現象は氷山の一角だから、実際は、もっと大きなやりたい放題が続いていると考えてよい。食品に関しても同じ現象が起きている。伊勢の有名な赤福なども有名になって何をやっても大量販売が可能になったので、やりたい放題のインチキをやって反省もしない。


以上身近な例として、組織が大きくなると、大きな権力を持つ事が出来ると言う事を観察した。もっと、わかりやすい例は国家と言う大きな組織だ。

卑近な例では、日本と言う国家が、 漸く一人前になる頃の、徳川、明治の時代における国家組織の責任者には、世界に恥じない国家を民衆とともに作りたいと言う大きな
責任感を持つ人物が、国家の責任者になった。ところが、そこそこに大きくなって経済的にもいい線まで大きくなると、その権力の上に立って、国民から税金を矢鱈に取るだけでなく、それを横領紛いに無駄使いして知らん顔と言うやりたい放題の現象がまかり通ってしまう。

大きい事はいいことではない。小さい、そして、独自の特徴を持った多数の平和な集団という社会の仕組みが出来ないものだろうか。散歩道  2007年10月17日


 日本の社会は以心伝心

日本の技術の源

1.日本の自動車産業
紀元2007年現在、日本の自動車産業は世界のトップに位置している。戦後鍋釜を造って生き延びていた“中島飛行機”は富士精密→プリンス自動車→日産自動車となった。私は昭和29年に東大糸川研究室からロケットの最初の開発を担うべく富士精密に入社した。会社の最重点製品が自動車になり、私も自動車部門に移籍し、後に有名になるスカイラインなどの基本的機構の開発、性能、耐久テストなどを担当した。

昭和30年後半の時点でも、プリンス自動車製のタクシーに乗り運転手に車の話をすると、
“でもねー、国産車は外車には叶わないよね!”と必ず言われた悔しさが今でも記憶にある。

昭和50年頃に、仕事の関係でアメリカ人の案内でアメリカの幾つかの会社を訪問した事がある。空港から空港へと移動し、レンタカーを使う。その車、勿論アメリカ製なのだが、時折、
ドアが隙間だらけ、窓から小雨が入るのに出会う。案内のアメリカ社員にそれを言うと、“あ、そうですね”と来る。少しも気にしていないのだ。我々日本人と随分感覚が違うものだと思った。同時に、こんな事なら、きっと今に見ていろ! 我々の日本車が何時かはアメリカを抜くぞと思った。そして、その通りになった。

技術、販売とか経営的な解析はそれとして、私は大きな基本的な原動力は日本の伝統的文化にあると思う。以心伝心で伝わる
匠の世界の職人が持つ技術。日本人は誰でも持って感覚なので、自分達も気が付かず、とかく、“国産車はねー”となってしまうのだが、実は凄い感性を日本人は持っているのだ。

1−2.建築技術
日本の建築技術も世界一だと思う。これも日本人のきめ細かい感覚が生きているからだと思う。五重の塔、唐招寺などの木の組合せを力学的に観察すると、凄く合理的に出来ている。力学の理論などがないのに、
感覚的に計算が自然に出来た匠の技には脱帽する。

今、私は小さなビルを建てて貰っている。現場の職人さん達の会話を聞いていると、“うん、そう。あれは一寸曲げるときにねー”とか “ちょっとそれは曲がりにくいから、こう、こうね!” とか、こっちにはさっぱり解らないのだが、図面など使わずに正に以心伝心。私には自動車産業の場合ほど良くは理解できていないと思うのだが、匠の世界を素晴らしさ、面白さを見ているような気がしてくる。

2.以心伝心の社会―日本

2−1.動物そして人間が仲間に情報を伝える方法の発達経過
原始的な状態から考えると、多分、最初は“触る”“声を出す”“ジェスチャー”をする”から始まるだろう。やがて、それぞれの伝達内容に対応して何種類かのパターンが自然とは発生すると思う。

その次の段階では人間は系統的な言語を使い始める。その歴史は例えば日本語の場合では、何人かの言語学者の優れた研究がある。次の段階が言葉から文字が考案されてゆく。ジェスチャーは絵として記号化される。文字は表意と,発音からとに分かれて発達してきたと思われる。文字は更に発達して記号となり、論理的な表現へと発達する。

2−2.言葉は便利で普遍的ではあるがーーーー
カラスの鳴き声を分析した人が九州におられて、20種類余りの泣き声で仲間に情報を伝達していると言う。こっちに来い、集まれ、散れなどなど。しかし、人間の言葉のレベルには程遠いから、地方によっても全く違う表現となっていると思われる。
それと比べると、人間が使っている言語は便利なものだ。例えば、”いまご飯を食べた“と言えば、地球の反対側にまでかなり正確に状況を伝達できる。しかし、今日はご機嫌よく食欲があって、すいすい食べ始めたか、何を食べたか,美味しかったか、などなど、実況放送をするとしたら、大量の言葉が必要だ。それでも”一見にしかず“であろう。

2−3.論理的言葉と情緒的言葉
コンピューターは、始めは数学的な計算、方程式の解を出すため等に使われ発達してきた。やがて、人間の言語を理解し伝達手段に使えるようになってきた。そのような初期に、日本語は欧米の言葉のように論理的にしっかり構築されておらず、コンピューターに入力するのに不適である。とか言われたことがある。

例えば、”お茶をどうぞ“ と薦められて、
“結構です”と答える。その意味は状況によって、“美味しいです”にもなるし、“いまは、無くてもいいです”にもなる。そんな事は、我々日本人は誰でも知っている。しかし、これを欧米人に理解させるのは容易な事ではない。まして、コンピューターに理解させるのは殆ど不可能である。しかし、しかしである。コンピューターに馴染まないから日本語が欠点のある言葉だと言うのはとんでもない事。こんなデリケートなことがお互いに理解できる日本人、そして日本語は何と素晴らしい言葉だと思う。
コンピューターは
情緒の面では永久に人間のレベルには達しないのである。

2−4.
以心伝心語
情緒的な言葉の素晴らしさを述べてきたのだが、人間同士の考え方伝達の一つに以心伝心と言うのがある。何となくの手振りとか目配せで全てを全体として理解してしまう事を言う。
情緒が大切と言いながら、今までどちらかと言うとあれこれ理屈を述べてきた。技術伝承の分野における日本人の以心伝心の素晴らしさを強調したかった。

2007年11月24日
散歩道

追記:しかし、2012年5月現在、政治の貧困の為、日本の良さより、ダメな点ばかりがすっかり目につくようになってしまった。