「結構です」という日本語

コンピユーターが計算から情報処理に使われ出したころ、日本語はYes/Noがはっきりせず曖昧でコンピユーターに馴染み難いと悪く言われていた時代がある。

他人に思いやりのある平均的日本人は、他人の気持ちを推察しながら話すから、どうしても表現が曖昧になる。しかし、これはむしろ全体として正しい意思の伝達法ではないだろうか?

「結構です。」等はその典型的な言葉だ。相手が良いと思って何かを薦めてくれたら、嫌といったら悪いから「結構」と言ってしまう。相手の気持がはっきりわかってきたら、情況に応じて『(1)ちょっと今はいらないのでとか(2)非常に結構でおいしいです』とかに言いなおせる。こんなデリケートな会話が何気なく交わせる日本人は素晴らしい。

Yes/No だけでやっていると、全てをビジネスライクに単純に割り切る単細胞人間が生まれてくる。
世界中の民族全てを『俺の言うことを聞くか、聞かないか?Yes/No どっちだ!』と割り切りたがる事になってしまう。悲しいことだ!    散歩道